本質美容研究家になるまでのストーリー
色んなかたちで、このブログにたどりついていただきありがとうございます。
今日は、少しだけ私の自己紹介をさせてください。
改めまして、fusaeです。
私のことをわかりやすく、箇条書きでまとめていきます。
- 1980年大阪生まれの39歳(もうすぐ40歳)
- 夫と二人暮らし(子なし)
- 33歳のときに現夫と劇的な出会いをし、出会って数時間後にプロポーズされ、今に至る(この話はまた改めて)
- 小学校卒業まで奈良で育ち、12歳で父の転勤に伴い渡米。17歳までの5年弱をアメリカ West Virginia州Wheelingで過ごす
- アメリカが嫌い過ぎて、両親を説得し、17歳のとき単身で日本へ帰国
- 帰国後、同志社国際高校編入
- 美容に目覚めたのは、アメリカ時代。スッピンで学校に行くなんぞ、私ぐらいだったので、慌てて化粧を覚えた
- そこから美容にどハマり。大学進学を辞め、美容専門学校に行きたかった
- 母の猛反対にあい、あえなく同志社大学へ進学、卒業
- 美容は趣味にしようと、その道を断念し、一般企業に就職
- 人を感動させる仕事がしたい!と、イベント関係の仕事に就く
- 16年間、会社員として勤めあげた後に2019年3月、脱サラ
だいぶ割愛しましたが、ざっくりこんな39年間を歩んできました。
私の人生については、今後追々ブログに書いていきます。
人生で転機になったこと
さらっと書いたものの、人生の転機はいくつかあります。
- 12~17歳までアメリカで育ったこと
- 17歳の時に、自分の願いで日本に単身帰国したこと
- 30歳を目前に、体調を壊し、人生初の入院をしたこと
- 30代の殆どの時間とお金を捧げ、自分の体調不良と向き合ったこと
- そのアウトプットをBE.naturallyと名付けて活動し始めたこと
- 33歳の時に、今の夫(起業家&変態)と出会い結婚したこと
- 37歳で会社員を辞めたこと
多感な10代をアメリカで過ごした私は、少し特殊かもしれません。
英語が話せず、辛いことを誰にも相談できない日々で孤独でした。
一番の話し相手は誰よりも、「自分自身」でした。
それも、ダメダメで弱っちい自分自身でした。
12歳の私は、毎日自分の置かれた境遇を嘆いていました。
英語が話せないことで、自分に強烈な劣等感をもっていました。
そして、自分の殻にこもり、自分としか本音を話すことができなくなりました。
今でもあの頃には戻りたくないと思います。
でも、あの時の自分がいたから、今の自分の礎があるのも事実です。
辛かったあの頃。
「ここがどん底か」と、自分でもわかるところまで堕ちました。
わずか12歳です。
でも、人というのは強いものです。
私は、そこから快進撃で英語をマスターし、学校でトップクラスの成績をたたきだすほどまでになりました。
「やることはやったから、日本に帰る」
と、その後、一人で日本へ帰国したのが17歳の時です。
あの5年間で培った力が、その後の私の人生に大きく影響をしています。
物事を学習し、マスターする力。
自分で物事を推し進める計画力と実行力。
何より、自分の心に素直に従う潔さをもつこと。
自分の人生を心地良く生きるためにはどうしたらいいのか?
そのために学び、行動し、実践する。
私の人生のモットーになっています。
本質美容研究家になるまで
日本に帰国してからは、正直浮かれていました。
ポケベルを買ってもらって、プリクラを撮りました。
学校帰りにマックも行きました。
どれも、私の”夢”だったからです。
大学に進学してからは初めての彼氏もできたし、これぞキャンパスライフ!という楽しい人生を送っていました。
いつしか日本社会のレールにどっぷり乗っかり、一般企業に就職していました。
「美容の仕事がしたい」
そう思っていたこともどこかに忘れてしまっていたように思います。
そのころは、「美容は好き。でも、趣味でいい」と割り切っていました。
それでも、それなりに志望動機を考えた会社に就職を果たしました。
ウソではなく、本当にやりたい!と思った仕事でした。
20代は夢中で仕事をしていました。
年齢以上の責任ある仕事、やりがいのある仕事を任せてもらえていました。
当時の私を知る人は、「キャリアウーマンまっしぐらだった」と言います。
しかし、この会社に在籍中にも色んなことがありました。
なんと・・・会社が倒産しました!!
そして、途中で会社のオーナーが変わりました。
会社自体は事業継承され残ったのですが、会社のオーナーが変わり、それまでとは全く違う風土の会社へと変貌していきました。
また、人事異動があり、希望しない部署への異動が29歳のときに言い渡されました。
会社での仕事が楽しく、充実したものだったのも事実です。
でも、働く環境が180度変わり、もはやそこに私のやりたいことは無くなってしまいました。
それでも、会社で頑張ろうとした私は、突然病に倒れました。
そこから相次ぐ体調不良を勃発させていきました。
心の声を聴かずに生きていたことが原因です。
8年間も日本で会社員をやっていると、麻痺してくるわけです。
「頑張って当然」
「お給料は我慢代」
「自分だけじゃなく、みんなしんどい」
「やりたくないことでも、やるのが仕事」
「嫌いな上司にも、はむかってはいけない」
「仕事ができない奴でも、年上というだけで偉い」
でも、脳はだませても、体は騙せないものです。
大尊敬する腸内細菌研究の権威・藤田紘一郎先生のこの本でも言われていますが
「脳はバカ」なのです。
(ちなみにこの本めちゃくちゃオススメです)
「自分の好きなことをして生きていこう」
30歳を目前に、初めての入院生活の中で天井を見上げて思ったのです。
そして、「美容の仕事をしよう」と決意しました。
勉強好きと美容好きが高じた結果
では、「美容」といっても、「美容」って何なんでしょう?
私のスタートはそこからでした。
化粧品が大好きでした。
お給料の殆どを化粧品に使い、デパートは自分の庭のようでした。
化粧品についてのブログもたくさん書いていました。
しかし、病に倒れる経験をした私は、どんどん「美容」に対する見方も変化していきました。
それは、自分の体のことを根底から見直し始めたからです。
化粧品を使えば綺麗になる
エステに行けば、肌が綺麗になる
このサプリでアンチエイジングができる
綺麗になるには、お金が必要だ
当時の私が持っていた、誤った認識です。
健康について根底から学びなおし、自分の体と向き合った副産物が「本質美容」との出会いでもありました。
本当に綺麗になるとは、どういうことなんだろう?
それはもう、猛勉強しました。
そして、勉強だけではなく、自分の体で人体実験を繰り返しました。
その全てが糧となり、本質美容研究家という仕事を確立するに至りました。
講師を始めたのは、それが一番自分の学びになると思ったからです。
そして、学んだことを継続する理由になるからです。
インプットしたものは、惜しみなく空っぽになるまでアウトプット。
そしてまた、新しい知識やスキルをインプットする日々。
いつしか、「美容の仕事がしたい」という想いが実現していました。
そして、「好きなことだけで生きていくなんて経済的に難しい」と、思い込んで続けていた会社員も卒業することができました。
「自分の人生は自分で創っている」
このブログ記事に書いた通り、自分で願った世界を現実化させることができました。
人生のミッションとは… 自分の好きなこと×自分の得意なこと×社会貢献
やっと、自分の敷いたレールに立てたという実感があります。
さあ、これからが本番です!
最近、ワクワクと感動が止まらない。
そんな日々を過ごしています。