「好き」を仕事にしても幸せになれなかった話
新しい時代が始まる。
どこかでそう強く感じ、グッと生き方をシフトして今に至ります。
私は別に霊感があるわけでもありません。
でも、肌で感じるのです。
風の時代がやってくる
友人がこんな映像を送ってきてくれました。
肌で感じてきたのは、これですね!
まさに1つの時代が今終わろうとしていて、新しい時代が始まる。
今までの時代はまさに、物質優先の世界。
その代表的なものが「お金」じゃないかと思います。
何か手に入れたい時、私たちは「お金」というツールを使っています。
それが物事の全ての本質ではないのに、いつしか「お金があればなんでもできる」と思い込んでいたし、「お金がないと生活できない」と思い込んでいます。
それは、本当にそうなのでしょうか?
お金に縛られて生きていた会社員時代
私は、「好きなことをして生きていきたい」と思いつつも、8年ほど会社を辞めることができなかった。
・会社を辞めたら収入がなくなる。
つまり生活していけなくなる
・会社の肩書きがなくなると不安。
自分の価値も下がるような気がしていた。
・親に反対される。
会社でバリバリ働いている私が自慢の娘といつも言ってた。
・自分の好きなことだけで稼いでいけると思えなかった。
つまり、自分を信頼していなかった
何より、自信がなかった。
どこかに属することなく、自分の力や魅力だけでお金を稼ぐなんて大変だと思っていた。
それに、自営業は休みもなく働くことで、土日も仕事でプライベートがない!と思っていた。
私が働いていた会社はしっかり休めたし、お給料もそこそこもらっていたし、福利厚生も悪くなかった。
仕事も自分で調整すればそこまで大変ではなかったし、日本の会社にありがちな「頑張っても頑張らなくてもほぼ一緒」の待遇だった。
だから、さほど頑張らなくても生きていける環境でした。
今思うと、自分の成長を阻んでいたのは、このぬるま湯のような環境でした。
一見、恵まれているような環境にも聞こえます。
「いい会社やん!」
親からも、友達からもよく言われました。
でも、このぬるま湯こそが私の意識を惑わす元凶でした。
そして、人をダメにするのも、こういった一見恵まれたようにみえる環境。
これはそのまま、「日本」という国にも当てはまるんじゃないでしょうか。
恵まれた環境こそ、堕落の根源だった
人というのは、使わない機能は使えなくなる生き物です。
これは、体も心も脳も同じ。
体は使わなければ筋力はどんどん衰える。
脳も使わないとどんどん細胞は死ぬ。
神経伝達がされなくなる。
心も、筋トレみたいなものが必要で、鍛えれば鍛えるほど強くなる。
守らてばかりいると、いつまでも心は強くならない。
辛いことたくさん乗り越えていくと、強(しなや)かな心ができる。
私は、ぬるま湯のような会社に属することで、殆ど脳を使っていなかった。
使わなくていいことを「恵まれている」と勘違いしていた。
どんどん、人間らしさから遠ざかっていた。
だから、結構な脳細胞が死んでしまったのではないかと思うのです。
人を堕落させ、人の思考回路を停止させるのは非常に簡単です。
「おいしい思い」をさせてあげればいいのです。
戦後の日本がそうであったように…
3S政策も、その代表的なものですね。
ぬるま湯のような会社でも、そこに自分がやりたいことがあるならいいのです。
でも、私はそうじゃなかった。
だから、16年間勤めたけれど、辞めることにしました。
「ここにいても、これ以上自分は伸びない」
そうわかっていたのに、いつまでも自分を誤魔化し続けてきました。
そのツケが、最後にドバッと押し寄せて、辞表を会社に叩きつけて辞めました。
好きなことを仕事にしたのに、満たされない
辞めてから1年ほどは、慣れない自営業に悩んでばかりいました。
自分のペースがわからない。
どこが心地よいのかわからない。
好きなことだと思って始めた仕事が、いまいちしっくりこない。
あまりやりたくない…
そう思う時も多々ありました。
「やりたいと思ったことなのに、どうして?」
何度も何度も自問しました。
そこで気づいたのは、「好きなことを仕事にする」だけでは不十分だったということです。
理想の生活の中で「仕事」をする
私に足りなかったのは、「働き方」を模索することでした。
「仕事」とは本来、自分の生活の一部であるべきなのです。
生活があって、そこに仕事がある。
でも、現代人は逆なんです。
仕事があって、生活がある。
…それじゃあ、ダメなんです。
それでは幸せになれなくて当然なのです。
だって、どう生きたいか?が先じゃないの?
その先に、どんな仕事をする?があるんじゃないの?
と思いませんか?
どんな場所に住みたい?
どんな1日を過ごしたい?
どんな人たちと生きていきたい?
どれくらい贅沢したい?
その先に、自分に合う仕事がある。
なのに、現代人は逆。
会社の都合に振り回されていて、1日の過ごし方も、1年の過ごし方も
下手したら人生の半分を会社の都合で生きる。
何時にどこに行って、何時まで仕事して、休みはいつ、まで決められる。
上司も部下も選べない。
客だって選べない。
生活水準は給料次第。
住む場所も、会社が基準になる。
そんな生活の中で、「それでも幸せ」を頑張って探して生きている。
自分に言い聞かせて、生きている。
自分が選んだことを正当化したいから、「これが正しいこと」と思い込もうとしている。
私もそうだった。
でも、制限をなくして考えると、全然自分の生きたいライフスタイルじゃなかった。
そもそも、爽やかな朝を毎日満員電車に乗ってスタートすることが何よりストレスだった。
決まった時間に決まった場所に存在することが「仕事」とされるのがストレスだった。
アホな上司、不毛な会議に命の時間を捧げるのもストレスだった。
事務の女性陣の毎日のしょうもない愚痴と噂話を聞かされるのがストレスだった。
時間は命そのものなのに、1日の大半を会社に捧げてあの給料だったと思うと、激安やったな…と思う。
でも、世の中の基準と比較すると恵まれていたし、私のようなストレスは誰しも持っているものだ、とどこかで自分に言い聞かせていただけだと思います。
それこそ、「他人軸」な生き方。
違う。
全然違う。
「自分は本当はどうしたの?」
自分軸で決めていい
会社を辞めてからBE.naturallyをやっていましたが、「好きなこと」なのに、私は活動の基準が「他人軸」でした。
世の中から求められる方法でやらなければ…と、頑張って形を作っていた。
だからずっと違和感だったんです。
「これはウケがいいから」
「これがわかりやすいから」
お金に変わる形を模索する日々。
でも、悶々するわけです。
自分のやりたい形ではないからです。
でも、コロナ騒動が起きて、ふと立ち止まる機会に恵まれました。
そこから、もう一度自分の活動について向き合ってみたのです。
本当は、どうしたいの?って。
そうしたら、出てくるのは「こんな仕事がしたい!」ではなく、「こんな生活をしたい!」という欲。
そう、私、仕事をしたかったわけではないのです!笑
厳密にいうと、自分の理想の生活の先にBE.naturallyを置いていなかったのです。
会社員の時と同じ、「仕事(BE.naturally)」が先にあって、そのあとに自分の生活を置いていました。
どうりで変な感じなわけです。
好きなことを仕事にしたつもりだったけれど、幸せになれないはずです。
TO DO LISTを作るクセを、NOT TO DO LISTに変えました。
「やるべきこと」ではなく、「やらないこと」を決める。
せっかく好きなことを仕事にしているんですもん。
「やりたくないこと」を徹底的に排除する。
本当に好きなことを好きなやり方でやっていく。
この2つこそ、幸せの直結する仕事の見つけ方だと思っています。
例えば・・・
私は、人に会うのが苦手なのに、「対面講座」を開催している。
教えることは好きだけれど、人とたくさん会うのは実は苦手。
人と仲良くなるのも苦手。
初めて会う人と喋るのも苦手です。
(できるように見えるけれど、実は好きじゃない)
ならば、できるだけ「対面講座」を辞めよう、と思いました。
そのやり方を、コロナ自粛期間中に自分なりに模索し、今少しずつ形にしていっています。
すると・・・
なんだか毎日がすごく楽しくなって、充実していて、アイデアもどんどん湧くようになりました。
仕事をしよう!と思わなくても、勝手に仕事をしている。
生活の中に仕事があるというか、生きることそのものが自分の仕事に直結するようになりました。
そうそう。
こんな風になりたかったんだ!
と、今は本当に仕事をすることが楽しくなりました。
シンクロする毎日で、自分が日々伸びている実感があります。
脳の回路フル回転です!
会社員の時にOFFになっていた脳の回路が動き出しています。
そして、冒頭の動画でもあったように、「お金」に縛られることがなくなりました。
自分の行動の中心におくものが「お金」ではなくなりました。
でも、以前より金回りは良くなりました。笑
新しい価値観で繋がる時代になる
何より、対価は「お金」だけではないことを肌で感じています。
自分がお金を求めなくなると、同じような価値観の仲間が周りに集まってきます。
私の周りには、お金の代わりに「才能」を交換し合う人たちで溢れています。
人脈こそが、最高の財産だと今感じています。
「お金」で繋がる関係は、「お金」がなくなるとなくなります。
でも、「才能」や「魅力」で繋がる関係は、一生ものの繋がりになります。
自分の仕事も「お金をいただく」ことをゴールにすることを辞めました。
そうすると、今まで見えなかったものが見えてきて、どんどん楽しくなってきたのです。
まさに、「地の時代」から「風の時代」への変化。
肌で感じながら進めてきた自分の感覚が、時代の流れと共鳴していたんだな、と嬉しくなりました。
時代が変わろうとしています。
今一度、本当に自分が求めている最高の理想の生活を思い出してみては?
と思います(^^)
fusae